大相撲八百長騒ぎと日本経済の行き詰まり

大相撲の八百長騒ぎがようやく収まりました。
この7月場所は通常通り開催することができそうです。マスコミも大騒ぎ、相撲協会もあたふた、社会現象にまでなってしまいましたが、相撲の八百長なんて、根っからのファンには実は当たり前のことなんです。

「八百長が悪いと言うのももちろん正論なんだけど、大騒ぎする方が間違ってる」というのがサイレントマジョリティ(物言わぬ多数派)の意見です。「公然の秘密」なので、お客はそれを知った上で楽しむものなのです。

なぜなら、相撲というのは「エンタテインメント」だからです。
完全な真剣勝負ではなく、完全な八百長でもない。その狭間にある競技なのです。もう少し言うと「興行」とした方がピンと来るかもしれませんね。プロレスだって同じ事ですが、プロレスファンはあれを八百長どうこうではなく、きちんと「ショー」として受け入れ、白熱し、観戦しています。

大相撲というのは「勝負を売り物にする芸能」であるのですが、勝負を見せるものだけに相撲協会もこれは八百長であるとか、芸能であるとかは口が裂けても言えないのです。それをいいことにマスコミは鬼の首を取ったように騒ぎ立てました。

プロレスと違い、なまじ「国技」であったことが問題をこじらせた感はありますが、そのマスコミの尻馬に乗った世間というのも何なのでしょうか。戦前の大政翼賛新聞と全く同じ、マスコミの誘導で戦争にのめり込んだ時代と似ていますね。

問題は、大相撲がグレーなものだったということ。
世の中には「白」と「黒」との間に、「グレー」のゾーンがあるのです。それを白か黒かどっちかに決めろと迫ってきたのが戦後教育だったのです。世の中からグレーがどんどん失われていく、その象徴としての大相撲八百長批判だったと言えるでしょう。

グレーがなくなっていくということは、経済界においても同じ。 企業活動にはどうしてもグレーの部分が必要だったのですが、バブル以降はこれを排除する方向になってきました。経済にとってグレーの部分というのはいわば潤滑油の役割があります。表には堂々と出せないが、それがなければ機械はうまく動かないのです。

交渉事でも「間に立つ第三者がいると上手く動き出す」という面がありますよね。
それを効率化の名の下に切り捨てていったから、ダイナミックな事業活動ができなくなって、手足が縮こまっている、というのが現在の日本経済の行き詰まりにつながっているのです。息苦しい社会が続いています。